チュニジア:スィブスィー大統領の逝去について(2)
2019年07月28日付 al-Quds al-Arabi 紙
■スィブスィー:民主主義を守った「マフザン」の男
【社説】
スィブスィー大統領の政府高官としてのキャリアは、ハビブ・ブルギーバ政権時代の1963年に国家安全保障総局の長官に就任したことに始まる。その後内務大臣、大使、防衛大臣、外務大臣(1986年のイスラエルによるハンマームシャット市パレスチナ解放機構(PLO)拠点空爆を非難する国連安保理決議において彼が果たした役割が思い出される)を歴任した。ザイン・アービディーン・ベン・アリーが率いた11月7日クーデターの後は国会議長を務め、「マフザン」の男としての任務を遂行した。その後は、暫定政府の首相として、革命の民主主義的遺産の保護に尽力した。そして2014年、「ニダー・トゥーネス(チュニジアの叫び)」党の党首として大統領選に出馬し、当選を果たした。
スィブスィー大統領は、自身のイスラーム主義者に対する批判的な立場にかかわらず、アラブ諸国が主導し、チュニジアの撲滅的政治勢力(訳注:旧ベン・アリー体制がとったイスラーム主義者撲滅政策を踏まえての表現)もそれに協力した狂気の作戦に追従することはなかったとされる。すなわち、これらの政治勢力は「テロとの闘い」という口実のもとに件のアラブ諸国の肩を持ち、アラブ世界における民主主義的な試行に対する闘いを挑んだのだった。そしてこれが、イエメン、リビア、エジプト、シリアにおける壊滅的な結果をもたらしたことには言及するまでもない。
(後略)
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( 翻訳者:前田悠作 )
( 記事ID:47334 )