一般人の時代は終わったのか?(1)
2019年11月08日付 al-Quds al-Arabi 紙
■変遷と歴史:一般人の時代は終わったのか?
【シリア:ムハンマド・トゥルキー・ラビーウー】
アラブの民衆蜂起の勃発とともに、人々を当惑させるある問題が現れてきた。すなわち「地域の抗議活動の背後についているのは誰なのか?」「誰がこれら民衆を導いているのか?」という問いだ。若者たちおよび彼らのコンピュータのナラティブが、何が起きているのかを分析する解釈の先鋒を担ってはいるものの、何が起きているか理解することにおける混乱は、研究者たち、とりわけ社会学や政治理論の学者にとって明らかなままであった。彼らが生きた現実に加え、地元の研究者(特にアラブ人)の大部分が研究した理論でさえも、「服従への迎合」の概念や、彼らが体験した抑圧の枠組みを超えて、権力と社会の関係についての仮説の形成を許すことはなかった。
サーリー・ハナフィーとリーヴァス・アルヴァンティスが述べたところによると、この不安と困惑の中で、多くの研究者は間もなく西洋の社会学者たちによる革命に関する複数の理論に頼った。
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( 翻訳者:堀内優希 )
( 記事ID:48031 )