シリア:シリアにおけるフランスの委任統治についての研究(2)
2020年05月24日付 al-Mudun 紙
■西洋はどのようにしてアラブから民主主義を奪ったか(シリアを例に)
【N.P:本紙】
対談の中でトムソン氏は、エジプト軍が選挙された大統領ムハンマド・ムルスィー氏を「野蛮に」追放し、彼が属するムスリム同胞団が指導する民衆運動を鎮圧した2013年の夏にまず着目し、同テーマについての研究を始めることに熱心だったと述べている。また同氏は、1920年3月にダマスカスで活動を開始し、結果長くは続かなかったシリア・アラブ民族会議のいくつかの記録が、民主主義を支持しシリアやアラブ世界全てにおいて活動している改革主義者にとって有益になってほしいという願いを表明している。
トムソン氏は、1920年にはいまだシリア人は自分たちの国が今日シリア、ヨルダン、パレスチナ/イスラエル、レバノンの名前で知られている場所の全て(同様に現在のトルコのハタイ県)を含むとみなしていたことを指摘している。シリア・アラブ会議には、これら全ての地域からやって来た使節が参加した。
その会議はファイサル王子と緊密に活動した。彼はヒジャーズ出身の名門ハーシム家の子孫であり、今日のサウジアラビア王国において大きな影響力を誇る一族の出身であった。また彼は第一次世界大戦中に第一にイギリスと協同した(ロレンス中佐と共に、当時のシリアにおいて、ドイツと同盟関係にあるオスマン帝国軍に対する広範囲のアラブ蜂起を誘発した)。
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( 翻訳者:大西由莉 )
( 記事ID:49169 )