シリア:シリアにおけるフランスの委任統治についての研究(3)
2020年05月24日付 al-Mudun 紙


■西洋はどのようにしてアラブから民主主義を奪ったか(シリアを例に)

【N.P:本紙】

ドイツとオスマン帝国の敗北の後、ファイサル王子は当時のシリア全土の指導者層幅広い同盟と共に活動を続けた。これは同国に立憲君主制による統治制度を樹立するためであり、そこにおいて彼は王となるが公憲法による制限に従うことになる。

多くの西欧人がもっとも良く覚えているのは、アレック・ギネスが映画「アラビアのロレンス」で演じたキャラクターであるが、彼は実在の人物だった。ロレンス中佐は1919年のパリ講和会議に出席し、同会議でファイサル王子の後方にいた。

撮影された対談の中でトムソン氏はクワント氏と、シリア・アラブ王国の憲法を起草にあたり、ファイサル王子が社会の指導者や思想家からなる集団とどのように協同したかについて議論した。

これらのシリア人の中にはリベラル・イスラミストや多くのアラブ人キリスト教徒の思想家、より世俗的な思想を持つ人々がいた。しかし、イギリスとフランスは説明責任を伴った自治政府に立脚するこのプロジェクトを初期の時点で抹消することを決意していた。

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( 翻訳者:大西由莉 )
( 記事ID:49171 )