カタール:カタール包囲網の長期化、解決の見通しは(2)
2020年06月03日付 al-Mudun 紙
■カタール包囲網:継続する一連の危機と解決の見通し
【アラブ政策研究センター:ドーハ】
危機の始まり
カタール封鎖の危機は、2017年5月20日、21日の二日間リヤードで開催されていた米国・アラブ・イスラームサミットからものの二日で始まった。このサミットには米国大統領のほか、アラブ、イスラームの諸国から約50名もの代表者が集い、テロとの闘いとイランを抑え込むことが公式の目標として掲げられていた。
5月24日の夜、国営カタール通信がハッキングを受け、ある軍事養成学校の卒業式の最中にタミーム・ビン・ハマド・サーニー首長に関連するフェイク・ニュースが流された。これが、危機を始めるための口実として使われた。つまり、危機の引き金となる理由が存在しなかったため、理由がでっち上げられたのである。その結果、カタールを標的とした前例ないメディアキャンペーンが始まった。その後、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、バーレーンの湾岸三ヶ国に加えエジプトが2017年6月5日、カタールとの断交を発表することにより、こうした攻勢は極限に達したのだった。
断交措置はカタールとの陸・海・空の玄関口の封鎖を含み、同様に(カタールに対し自国の)領土・領空・領海の通過禁止、自国民のカタールへの旅行禁止、(カタールに)在留・滞在する自国民が出国するまでの猶予期間の設定、およびカタール国民の自国への入国禁止、自国内に在留・滞在するカタール国民が自国を出国するまでの二週間の猶予期間の設定などが実施された。こうした措置はアラブ湾岸諸国間あるいはそれらと他のいかなる国家(イランを含む)との間の関係においても前例のないものであった。これら各国が過去に経験したもっとも過酷な危機においても、このようなことはなかった。こうした事実は、こうした措置が、カタールが直接的に封鎖主体国の諸要求に対して屈することを促すような、困難な状況、混乱を生じさせることを目的としていたことを示唆するものであった。
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( 翻訳者:堀嘉隆 )
( 記事ID:49216 )