アタキョイ第一区保全・美化協会は、アタキョイ第一区市場にあるマフムード二世の時代の石造作品が為すがままに放置されており、この件をイスタンブル第一保全委員会へ諮問した。返事は「身分情報をお知らせください、あなたにお任せしますから」というものであった。
アタキョイ第一区市場にある、オスマン朝君主マフムード二世の時代にあたる1827年付けの石造作品は、為すがままに放置されていた。
1950年アタキョイ第一区とともに計画された市場は、564ブロック135区画に位置している。市場は、土地面積は4320平方メートルで、地券ではその中に23の店舗、オフィスが一つ、遊興場が一つと登記されており、この一年で使用が完全に停止され廃墟状態となっていた。市場入り口として使用されてきた地下通路の壁部分にはマフムード二世の碑文上部の三角部分と考えられる、大理石でできたスルタンの花押入りの歴史遺産があり、完全に無防備な状態で残されている。あらゆる損傷や盗難の危険にさらされているこの遺物が今日まで被害を受けていないのは奇跡と言える。この遺物は、アタキョイの建設の際に周辺の採掘作業中に見つかったと推測されている。
■市場を壊さないで
取り壊しが決まっている市場に関し、アタキョイ第一区保全・美化協会は、共和国時代の市場の特徴を備えているという理由で、第一地域文化遺産保全委員会に取り壊し中止を求める申請を行なった。同時に、市場入り口の地下階段にある君主の花押入りの大理石の作品の写真を送り、これが歴史遺産か否かの判断を仰いだ。
■博物館での保護がふさわしい
保全委員会は、大理石の作品にはオスマン朝期のマフムード二世の花押があり、1827年の日付が入っていることから、第2863号の法律に従って保護する必要がある作品であると判断し、この遺産を博物館に移動させるよう提言した。トルコ・イスタンブル・イスラム博物館の専門家とイスタンブル修復・保管局の専門家が共同で現場で調査を行なった。その後、博物館は、アタキョイ第一区保全・美化協会に書簡を送り、次のように述べた。
「2020年11月5日に任じられた修復家、博物館及びバクルキョイ市の関係者によって調査が実施され、この遺産はセメントによって固められており、作品に傷をつけずに取り剥がすことは不可能であり、さらに壁から剥がすためにあらゆる手段を尽くした場合、今度は天井が崩壊してしまう恐れもあるため、遺跡はそのままの場所に維持しておくことが適切であると判断された。従って、一時的に御協会の名の下で管理をしていただくために、御協会より一人の代表者を選んで身分情報をお送りいただきますようお願いいたします。」
■見張りが必要?
この回答には、協会執行部も驚きを隠せなかった。代表は「毎晩この遺跡の前で我々が見張りをしとけということでしょうか。意味がわかりません」と述べ、以下のように語った。
「協会として、設立の理念に沿っています。市場の取り壊し決定が出たとしても、この決定は現在の石の状況が本来の姿に相応しいものとして保護されることを妨げるものではありません。この市場は建築を担当したピッチナートによるアタキョイ計画に沿った形で現状で保護しなければなりません。また、泉水の石を、委員会の決定に従ってこのままの場所に保持し、石の横にこの遺物の由来を説明するプレートを設置することで保護するのは我々の趣旨にも適います。」
■芸術的価値は高い
ネズィヒ・バシュゲレン氏(考古学者):「オスマン朝君主セリム3世以降、オスマン朝の軍事改革で重要であったのは、帝国火薬工厰に属するバクルキョイ火薬工厰の諸施設であった。共和国期に軍事工場管理部に移行するこの火薬工厰は、広大な土地と共に、まず機械化学産業協会へ移管され、その後トルコ不動産・信託銀行に売却された。同銀行は、火薬工厰の敷地跡にアタキョイ区を建設し、昔の遺物はほとんど保護されなかった。この点で、この君主の花押入りの碑文の一部は重要な歴史的資料に当たる。作りの点からも芸術的価値は高いものである。そのままの場所で保護することには支障が考えられるので、一刻も早く軍事博物館あるいは同種の博物館へ移管すべきである。」
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( 翻訳者:田辺清鼓 )
( 記事ID:50303 )