エジプト:ナワール・サアダーウィー追悼 偉大なフェミニスト活動家の声(9)
2021年03月21日付 al-Quds al-Arabi 紙


■故ナワール・サアダーウィー…エジプト・アラブ世界で最も大きな声を上げた女性

【カイロ:ムハンマド・アブドゥッラヒーム】

略歴

ナワール・サアダーウィーは1955年にカイロ大学の医学部を卒業し、医者として働いた後、精神科の専門医となった。そして著作『女性と性』のなかで女性の性器を損壊すること、すなわち割礼を批判したため、1972年に厚生省での仕事を失った。1973年には、数年前に創刊していた雑誌「サッハ」(健康)が廃刊になった。1975年には、彼女が出会った、死刑宣告を受けていた実在の女性からインスピレーションを得て『0度の女』を出版した。その後1977年には、ある村で医師として働く傍ら著した『アラブ人女性の裸の顔』で、性的暴行と名誉殺人、売春(の存在)を実証し、怒りの反応を呼んだ。1981年には、サダト大統領による逮捕キャンペーンが彼女の身に及んだ。彼女は牢獄で手記(多くの欠落部が存在する)を書いたが、そこには彼女が、他の多くの女性収監者との関係性を通じて自由を得ることを拒否していたことが記されている。その後出所した彼女は、原理主義者たちと対峙することになる。そして、告訴や殺害の脅威から逃れるためにアメリカに居を定めた。サアダーウィーは、ヒジャーブと化粧パウダーと露出の多い服の間で、注視を続けた。女性は恥ではないが、しかし同時に商品でもないからだ。2004年には大統領選に立候補し、2011年1月25日革命にも参加した。2020年には、米「タイムズ」紙で「影響のある女性100人」の中から、彼女の写真が表紙絵に選ばれた。

(後略)

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( 翻訳者:藤原路成 )
( 記事ID:50853 )