イラク:イラク人歌手イルハーム・ミドファイー「イラクの歌曲における悲哀は歴史と悲劇の反映」(4)
2022年02月19日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イラク:イラク人歌手イルハーム・ミドファイー「イラクの歌曲における悲哀は歴史と悲劇の反映」(4)

【対談者:ムスタファー・ハリール】

◯しかし、ご家族はエンジニアリングを学ばせるためあなたをイギリスに留学させましたが、その後、あなたは西洋的なやり方を取り込んだイラク・フォークロアを重視した楽団を設立するために1967年にバグダードに戻りました。いつエンジニアリングから歌うことに転向することを決心なさったのでしょうか。また、あなたのご家族はどのような態度をとっておりましたか。

●ミドファイー:確かに自分の家族は芸術や音楽を嗜んでいると先程述べましたが、本当のことを申し上げますと、家族は急進的な転向や完全に芸術に向かって進むことを推奨しませんでした。わりかし保守的だった当時のバグダード社会は特にそうでした。しかし、時の経過とともにイルハーム・ミドファイーの表現方法は家族のシンボルとなり、世界中に拡散した私の特殊な表現方法となりました。

エンジニアリングについて言えば、私は工学系家族の一員であると未だに誇りに思っています。4人の兄弟はエンジニアリング分野に従事し、彼らはイラクでもアラブでも名が通っています。そして、エンジニアリングは私の音楽提供において今もなお重要な一部分を構成しています。あくまでも私の観点からすると、自分が手本としている形式と表現方法に従えば、芸術とエンジニアリングと音楽提供の間には大きな結びつきがあります。

◯誰があなたに「アラブのアズナヴール」という異名をつけましたか。そして、それは今日あなたにとってどのような意味をもっておりますか。

●ミドファイー:「アラブのアズナヴール」という異名は世界的な新聞社が私につけましたが、間違いなくそれは私の心に適う素晴らしいあだ名の一つで、自分自身に美しい影響を与えてくれました。アズナヴールは世界的な芸術における伝説的人物のひとりだとみなされていて、音楽提供の方法において相似点があり、おそらくこれが異名を名付けられたを理由でしょう。

それに加えて、私は「The Baghdad Beatle(バグダードのザ・ビートルズ)」という異名に大いなる矜持と愛を抱いていますが、この名前は私がイギリスの首都ロンドンにある有名なロイヤル・アルバート・ホールでイベントを開催した後にイギリスの放送局BBCが私に名付けたものです。つまり、彼らは私の表現方法を世界的なザ・ビートルズにアラブらしさを補充したものと認識しているということです。ザ・ビートルズは60年代にロンドンで私のイベントの一つに参加し、そのときアラブ音楽にギターを組み合わせる見せ方をした私の表現方法を気に入ったと理解していますが、この表現方法が世界的なザ・ビートルズにとって現代的なものでありました。

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:52688 )