イラン:政治的「聖域」――ヘゲモニー指標としてのヒジャーブ(2)
2022年09月29日付 al-Quds al-Arabi 紙
【ムハンマド・サーミー・アル=カッヤール:本紙】
この(リベラリズム的な)回答が取り組むのを避けた根本的な問題は、きわめて複雑な政治/文化的論争におけるヒジャーブの地位に関わっている。さらにはこの論争には、全体主義体制、右派・左派集団、民族的・文化的アイデンティティーや国家建設にまつわる伝説をめぐる論争が関連している。これらすべてを考慮してもなお、ヒジャーブが純粋に個人主義的でフェミニズム的な問題であるとみなすことなど一体どうしてできるだろうか?女性たちはこれらの文脈から十分に離れたうえで、彼女たちの問題だけが「家父長制」などの理論的な抽象化との論争であるとみなすことができるだろうか?「自由な」選択による自由だけを追求していて、個人主体がこれらすべての問題に取り組むことなどできるのだろうか?ジェンダー平等や個人の自由が実現される空間をつくりだすためには、女性や個人を超えた包括的な政治言説が求められており、政治的・社会的・文化的な問題に十分に、つまり全体的に取り組むことができるようにしなければならないのではないだろうか?最も重要なことは、もしヒジャーブがこの程度まで政治化されたものであり、多くの社会において権力とヘゲモニーに関する論争の根本的な一側面であるのであれば、政治性を取り除き、純粋に私的な事柄にしようとすることはできるのだろうか?これらの問題すべてに取り組むためには、個人主義およびフェミニズムに関して、あるいは現代における政治的実践それ自体の条件に関して現状流布しているイデオロギー的概念の多くの再考が要請されている。そして、おそらくそれを無視していることが、政治的抗議運動の分裂と世界をめぐる変革の試みの一因となっている文化的・政治的問題一般の一側面を形成している。
(3)に続く
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( 翻訳者:藤原路成 )
( 記事ID:54159 )