イラン:政治的「聖域」――ヘゲモニー指標としてのヒジャーブ(3)
2022年09月29日付 al-Quds al-Arabi 紙
【ムハンマド・サーミー・アル=カッヤール:本紙】
現代のヒジャーブは、少なくとも1950年代以降主流になっているフォルムにおいては、イデオロギーや政治の象徴である限りでは、イスラーム法学上の問題にはなっていないように思われる。前世紀の初頭に巻き起こった、当時主流だったヒジャーブの被り方や、女性/市民を育てる国民国家の役割にふさわしい被り方へと変更する必要性に関する長い議論を受けて、「イスラームの目覚め」としてのヒジャーブは、近代的なイスラーム・プロジェクトにふさわしい独立国家の再建設のための試みと化した。だが、それは同時に複雑な政治的問題を抱えていた。すなわち、ウンマの概念と国家のアイデンティティー、植民地の痕跡の除去(それは「西洋との戦い」へと変容した)、立法化と憲法条文の源泉に関する議論、社会主体および個人主体の形成である。
このプロジェクトのなかには、ヒジャーブを様々な意味をもつ政治的な行為として一般化することも含まれていた。すなわち、「ウンマ」の文化的・道徳的な表徴(それが意図しているのは物質面と精神面の両方におけるその構造と、覚醒の方法である)、イスラーム・イデオロギーのプレゼンスおよび公共領域におけるその力の象徴である。同様に、イスラーム主義者たちが目指す、保守的な核家族モデルの保持のために欠かせない生政治の即時実践でもあり、伝統的な拡大家族システムが崩壊した後に女性たちが労働市場に駆り出されているにもかかわらず担っている、家族のケア領域における無賃労働という女性の役割でもある。
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( 翻訳者:藤原路成 )
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