イラン:政治的「聖域」――ヘゲモニー指標としてのヒジャーブ(6)
2022年09月29日付 al-Quds al-Arabi 紙
【ムハンマド・サーミー・アル=カッヤール:本紙】
リベラリズム的個人主義の主流な形式に則って現代フェミニズムを作り上げることは、ジェンダー平等へと至る最善の道ではないかもしれない。ヒジャーブに関する「個人の選択」についての議論、そしてヒジャーブを女性だけに関連する純粋にフェミニズムの問題とすることは、彼女たちの問題を広範な文脈から引き離してしまい、ある種の政治上の「聖域」を作り上げるだろう。「聖域」とはつまり、女性たちの外側で起こっていることから彼女たちを覆い隠し、男性や聖域の文脈から外れたすべてのひとたちとの緊張関係の只中で、彼女たちの役割を私的な事柄への関心にのみ限定してしまうような領域である。この意味において、女性の政治力を再発見し、改めて定義しなおすことは―それは彼女たちを、疎外され抑圧された個人的主体としてではなく、物質・文化・生活面において現代世界を生み出す根幹的なアクターとみなすことによってなされる―、女性の問題を、ジェンダーを超えた問いへと変容させることを通じて、その「聖域」から抜け出すための最も理想的な方法なのである。そのような問いは性別の違いを超えて人間が包摂される、より広範な社会的同盟や連合の構築に適したものである。これは女性の問題を、ベルギーの女性思想家シャンタル・ムフがかつて提案したヘゲモニー指標解放のレベルまで止揚させうる。それは、その問題を集団的な政治主体構造の一側面と為すことによってのみなされるだろう。すべての集団を個人主体へと還元することではない。というのもそのような個人主体は、他者を常に自身を取り巻き、「自由な」選択がそのなかでできるような特殊な魔法円にとっての脅威とみなすからである。
(7)に続く
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( 翻訳者:藤原路成 )
( 記事ID:54163 )