■「ヒズブッラー」と戦争に反対する勢力:パレスチナ、そしてレバノンにおける二国家解決
【本紙:ムニール・ラビーウ】
1969年、パレスチナのヤースィル・アラファート指導者とレバノン軍のエミール・ブスターニー司令官の間でカイロ合意が締結された。同合意の基礎事項は、パレスチナの抵抗勢力にレバノンを起点とする対イスラエル軍事作戦を許可すること、つまり武装軍事作戦の合法化であった。
この概念はレバノン南部を軍事作戦の基盤、ないしイスラエルとの自由な紛争の場にしてきた。しかし特に政治的、社会的な方向性や、レバノンという国家やその構造様式に対する見解の相違を含む2つの論理と2つの地域へと国を分けた政治的垂直分裂が起こるなかで、紛争は拡大、発展し、様々な次元を持つようになった。合意の締結からわずか数年で、国中で多数の主張をともなう戦闘が発生し、その結果国は内戦に突入し、治安上の、軍事的な、社会的な数々の分裂的出来事がぼっ発した。
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( 翻訳者:大森耀太 )
( 記事ID:57499 )