■「ヒズブッラー」と戦争に反対する勢力:パレスチナ、そしてレバノンにおける二国家解決
【本紙:ムニール・ラビーウ】
レバノンの二国家解決の提唱者たちは、2005年から今日にいたるまで、特にヒズブッラーが防衛から攻撃への移行に成功した2006年7月の戦争以降、段階的な政治路線を辿っている。南部の戦線は鎮静化し、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)が入り、レバノン南部はもっとも安定して繫栄している地域の1つになった。その一方、諍い、対立、衝突は別の地域、特に首都ベイルートの中心部に移った。例えば有名な座り込みや、2008年7月に鎮圧されるまで終わらなかった政治的衝突や、権力形成のメカニズムや国家構造におけるヒズブッラーの権力や影響力の確立などがそれにあたる。
彼ら提唱者たちは、すべての路線がヒズブッラーの影響力とその権力、そして同域でのイランの影響力に対する国際的な承認を確立することにつながったと考えている。というのも彼らは、国際的・アラブ的なバランスの創出ができていないことと引き換えに、シリア革命そしてヒズブッラーとイランによるそれに対抗するため戦争への関与という路線を無視してはいない。なぜなら、米国の方向性はイランと核合意を締結することを目指しており、シリアとレバノンはその犠牲となったからだ。
これは南部での対立ののちに訪れる結果、そしてそれによって政治的バランスがどうなるかによって再生産される懸念と同じものである。つまり、特に(レバノン)共和国の大統領選挙や権力の再構築を妨げる継続的な複雑性が存在するなかで、二国家解決を呼びかけることで似たような結果を先取りしようと試みる人々がいるということだ。
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( 翻訳者:大森耀太 )
( 記事ID:57505 )