■立憲主義と民主主義の狭間のシリア人
【ムーフィク・ニーリビーヤ】
おそらく、政権の支持者たちが――自由に――デモを起こしに出かけたならば、「憲法委員会は革命の正当化であり、政権への裏切りである」という風に、スローガンは全く逆のものとなるだろう(もちろん彼らの「アラビア語ではない」言語で)。しかしながら、いくつか矛盾する事実もある。すなわち実際のところ、政権による承認は常に、そしてあらゆる時点において、反体制派によってなされるそれよりも多かったのである。
このように、憲法委員会はおそらく悪への入り口となるかもしれないし、悪からの出口になるかもしれない。空白状態の中での新たなステップとなるか、将来的に善きこととして記憶される開放口となるのか、あるいは単に紛争の凍結に向けての序章にすぎないということなのかもしれない。しかしながら、現在において、そして常に、もっとも重要なのは、騒動を鎮静化し、シリア人を革命の基盤に基づいて再結束し、社会集団を再編成することに集中することだ。これこそが、(シリア)問題の中で彼らに割り当てられた基礎を回復させるための唯一の手段なのである。
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