■シリア内戦においてアラウィー派、クルド人、スンナ派はいかに挫折したか?
【スーリーヤ・ネット:アムル・クドゥール】
一定の人々は、「これまで表にならなかったもの、すなわち集団内の各関係におよぶ分裂、また彼らと他の諸集団の間の目に見えない壁が存在したという事実が、革命によって露見することとなった」と断定することを好む。しかしこれは、極めて単純化されたうえに非常に一方的な見解であり、その深層的な影響、すなわち革命がそれ自体の敵を駆り立ててしまい、革命に対抗するために彼らの台頭を生じさせたという影響を認識することがないままに、それを単なる機械論的事象に過小評価することにほかならない。これらの各当事者は、それぞれ固有の義務や懸念を有している。それらの価値的な差異を認識したまま、「革命がアサドやバアス党政権威によって醸成されてきたものを補完するものである」と指摘するのはいささかショッキングなことかもしれない。
我々が理解しているところの「革命」は、民衆蜂起が当初掲げた価値観であり、法の下での公共の自由、民主主義および平等に関する価値観であった。とどのつまり、掲げられているのは西洋的モデルであり、憧れや理想に近いものとして理解されてきた。
換言すれば、ここで求められている変化とは、公共の自由と完全な民主的変革という集合体のなかで、各個人の自由を実現することを目的としている。さらにいうと、自由という体制は第一に専制政治の権威を脅威にさらすが、しかしながら、それは次なる脅威に対抗するためにあらゆる手段を模索する新たな社会的・集団的権威を脅かすこととなるのである。
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