■シリア内戦においてアラウィー派、クルド人、スンナ派はいかに挫折したか?
【スーリーヤ・ネット:アムル・クドゥール】
「体制」が革命をスンナ派革命として表現し、自身を「民衆的な誓約・表現」を用いながらアラウィー派とマイノリティーの庇護者として喧伝することによって、明確に宗派主義を採用し始めたことが事実であったとしても、「必ずしも反体制」ではなかったその他の集積物からなるその他の集団は、革命を「スンナ派革命」として描写する機会を与えてはこなかった。
アサドは、スンナ派革命がスンナ派でない人々を国内で、あるいは世界全体で脅かすことを望んでいた。また「スンナの一つの血」を共有している人々は、イスラームの教義にのっとってそれが合法であることを希望していた。
一方、クルド人の存在はどこにも見つけられなかった。しかし、これはクルド人集団が台頭した唯一の要因ではない。クルド人は、1950年代後半以来全国的な党活動に参画してきた歴史を有しているだけでなく、クルド労働者党の1980年代の後半に高揚し始めたシリア部局に関しても豊富な経験を有してきた。
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