イスラエル:ハイファ市内の通り名にアラブの大物女性歌手の名前(3)
2020年07月15日付 al-Quds al-Arabi 紙
■ナクバ以前の訪問とその後東方の星の愛称で再訪したことに対する表敬としてハイファ市の通り名にウンム・クルスームの名がつけられる
【ワディーウ・アワーウダ:本紙】
近代パレスチナ史の専門家であるマンスール教授は、ウンム・クルスームは自身の多くの歌の中でエジプト人、アラブ人、そしてパレスチナ人の抱える苦悩を歌ったと述べている。中でも注目に値するのが「あぁ私の武器よ、お久しぶりね」である。詩人でアーティストのサラーフ・ジャーヒーンが作詞し、カマール・タウィールが作曲したこの曲は、1961年から1971年までの間エジプトでは国歌として採用されていた。しかし、これはその後、故ガマール・アブドゥンナーセル大統領の遺産を毀損し一掃するキャンペーンの一環として、サーダート大統領によって廃止されたのだった。マンスール教授は、「イラクでも同じように1981年までは国歌として用いられていた」とも述べている。
ウンム・クルスームは「銃は持ったわ、パレスチナに私も連れてって」(作詞ナラーズ・カバーニー、作曲ムハンマド・アブドゥルワッハーブ)などパレスチナに着目した歌も歌っており、今日至るまでなおもその響きが愛聴されている曲が他にも存在する。
ウンム・クルスームがナクバ以前にパレスチナを熱心に訪れ、ハイファなど同地の都市で公演を行っていたことは注目に値する。最初「東方のカオス」というあだ名を提げてパレスチナに来た彼女だったが、再び訪れた時には「東方の星」と称されるようになった。
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( 翻訳者:堀嘉隆 )
( 記事ID:49553 )