イスラエル:ハイファ市内の通り名にアラブの大物女性歌手の名前(5)
2020年07月15日付 al-Quds al-Arabi 紙


■ナクバ以前の訪問とその後東方の星の愛称で再訪したことに対する表敬としてハイファ市の通り名にウンム・クルスームの名がつけられる

【ワディーウ・アワーウダ:本紙】

ナジーブ・ナッサールとその妻サーディジュ・ナッサールの二人の編集者による「カルメル」紙は、ウンム・クルスームがハイファを訪れた際のハイファの熱狂ぶりについて描写している。これによれば、彼女のコンサートに参加するために、家庭で消費するために手に入れていた山ほどの小麦粉を売り払った市民さえいたという。

ハイファ大学のアーカイブに保存されている「パレスチナ」紙の複数記事を参照したところ、ヤッファ市はこの東方の星を迎えるために丸々一週間を準備に費やしており、一回の公演ごとに200ポンドにもなるこのウンム・クルスームのツアーを主催したのはヤッファの漁業組合であったことが分かった。同資料によると、パレスチナの諸紙は同地が委任統治下に置かれていた期間にも「東方と全アラブ諸国のカオス、歌姫をお迎えしてパレスチナ各地は熱狂と歓喜でお祭り状態」と題した祝福の記事を出していたようだ。

ウンム・クルスームがパレスチナを訪れていたのは、タハ・フサインやムハンマド・ジャワーヒリー、ユースフ・ワフビー、ムハンマド・アブドゥルワッハーブといったエジプト人あるいはアラブ人のアーティスト・知識人らが、同地をアラブ地域の文化の中心地と位置付けて盛んに訪れていた頃であった。その後、パレスチナはシオニストらによる地震に見舞われることとなる。シオニスト指導者らは、彼らの入植以前パレスチナは荒れ地の無主地であったと主張し始めた。

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( 翻訳者:堀嘉隆 )
( 記事ID:49555 )