■レバノン・シリアの相関関係:変革はダマスカスに始まりベイルートで終わる
【本紙:ムニール・ラビーウ】
サウジアラビアとシリア
これらの疑問や仮説は、いくつかの地域的変化の結果として生じたものだ。これらの地域的変化のなかでは、イランとサウジアラビアの接近も生み出され、そこでの最優先事項はイエメンとイラクであった。イラクではいくつかの相違が発生したが、イエメンでは停戦合意が実現した。この間、レバノンとシリアの問題は開けられるのを待つ冷凍庫の中だった。これらの4か国は、イラン人たちがかつて支配を宣言した国々であり、イエメンとイラクではいつくかの合意への取り組みがすでに行われたとしても、レバノン・シリアの両問題は棚上げされたままであった。
バッシャール・アサドがアラブ連盟首脳会議に招待され、その後サウジアラビアのシリアとの正常化の路線が開かれ、また「政権側と反体制側からなる憲法委員会の対話をジュネーブではなく自国で主催する準備をサウジアラビアが行っている」との情報が流れたのと同時期に、ファイサル・ミクダード外務大臣が最近サウジアラビアを訪問したことから見て取れるように、シリア政府と湾岸諸国の間でコミュニケーションが活発化している。このことは、政治的現状の変更、改革の実行、拘留者らの釈放、カプタゴン密輸出の停止、自国内外でのアラブ・イランのバランスの回復など、シリア政府が提供しなければならないものを提供する準備ができていなかった結果失敗に終わった、これまで国交正常化を目指して幾度となく行ってきた試みを無視しないままに、サウジアラビアがシリアの問題にさらに関与し、この国に対する関心を復活させる準備ができていることを示している。
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( 翻訳者:大森耀太 )
( 記事ID:57563 )