■国際的な突進を受けるシリア人:民主的な反対勢力による「新政権」の修正
【ダマスカス:ムニール・ラビーウ】
シリアの革命の勝利は、多くの競争や、この勝利を享受しうる当事者をめぐるより多くの対立への扉を開いた。最終的にはシャーム解放機構が軍事的勝利を採用し、革命的勝利を奉じて、それを自己単独で独占することを選んだ。あまつさえ、シャーム解放機構の一部の高官については、勝利における自らの功績を指摘しながらも、シリアの全ての国民が取り組んだ努力の集積体を認めようとはしなかった。同様に記録された競争のうちには、バッシャール・アサドがシリアの首都を発ったのちに、どちらの当事者が相手方より先にダマスカスに到着していたのかをめぐるものがあった。
抵抗の活力
アフマド・シャルウ(シャルア)は革命における唯一の勝利者として「絶対的な権力」を行使している。また彼は調和、そして他の構成要素に対する開放の必要性について明確に述べた。そしてこれこそが、アーイシャ・ディブスの発言に対するシリア人女性のインティファーダから、教育カリキュラムの変更に関する考えに対する「ゼノビアのインティファーダ」に至るまで、シリア人のインティファーダを継続的かつ反復的なものとならしめる。シリア社会は、新政権により実行されうるいかなる決定に対峙するため、異例の活力を見せている。新政権は社会の多くの層、特にもともとアサド体制に抵抗していた反体制グループ・派閥からの反対に直面している。
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( 翻訳者:清久功介 )
( 記事ID:59453 )