ガザ:ハマースのハニーヤ政治局長がイスラエルによって暗殺される(8)

2024年07月31日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ハマースのイスマーイール・ハニーヤ政治局長がテヘランで殺害される

【テヘラン:諸通信社】

<<ハニーヤ氏..アフマド・ヤースィーン氏の生徒>>

ハニーヤ氏は2021年に、ハマースの政治局長に2025年までの任期で2度目の再選を果たした。

ハニーヤ氏は、自身の政治活動をムスリム同胞団の学生支部である「イスラーム・ブロック」から開始し、後にこの団体からハマースが派生した。

そして同氏はイスラエル軍によって数度にわたって逮捕された。

ハニーヤ氏は、ハマースの創設者であり、ハニーヤ氏の家族と同様にアシュケロン市近郊のジューラ村からの難民だったアフマド・ヤースィーン氏の生徒のうちの1人になった。そして1994年にハニーヤ氏は、ヤースィーン氏がパレスチナ人民にとって真似るべき規範であり、彼からイスラームへの愛やこれのための犠牲、そして暴君や圧制者らを前に屈服しないことを学んだと述べた。

2003年末には、ハニーヤ氏はヤースィーン氏が信頼する助手の1人となっており、ガザ地区にあるヤースィーン氏の自宅でハニーヤ氏が、ほぼ完全な麻痺を負ったハマース創設者(ヤースィーン氏) が会話できるように、彼の耳もとに電話を寄せているところが撮影されている。そして2004年にイスラエルはヤーシーン氏を暗殺した。

ハニーヤ氏は、ハマースが政治の場に参加することを初めて支持した勢力の1人だった。同氏は1994年に、政党を形成することによってハマースが展開する情勢に対応できるようになると述べた。

ハマースの幹部らは当初政治の場へ参加することを拒否したが、その後それに同意し、ハニーヤ氏はガザ地区からイスラーム軍が撤退し、2006年のパレスチナ立法評議会選挙にハマースが勝利したのち首相となった。

ガザ地区に対するイスラエルの戦争が開始して以降、同国はガザ地区内およびパレスチナの域外でハマースの幹部らへの攻撃に専念している。標的となった人々のなかには、昨2月のレバノンへの空爆によって殺害されたサーリフ・アールーリー副政治局長も含まれている。

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翻訳者:大森耀太
記事ID:58473