■レバノンに対する戦争は、一方の損害でもなければもう一方の利益にもならない
【本紙:ターリク・ミトリー】
そのため、どんなに難しかろうと、有事が平時よりも長いなかで、競争する人々や他者の意図を常に疑う人々の間で失われた信頼を完全にないし部分的に構築するために、大胆なステップを我々は必要としている。また信頼構築は、相違点や互いの過ちを認容することではなく、展望や利益の食い違いを消去するわけでもない。しかしそれは論理的選択であり必須の選択肢なのであり、来たる日々の過酷さを軽減するために共に熟慮する道を開くものである。またそれによって我々は、早急の勝利という幻想や、「戦争の結果が多くの問題の解決を容易にする」といった単純な考えから解放される。また信頼の完全ないし部分的な構築は、「他人の不幸を笑い、被害者らに起こったことの責任を押し付けること」、「不毛な競争の復活」、「宗派的不安の扇動」、そして「威嚇や脅迫、裏切り」を避けることを必要としている。そしておそらくこれらはすべて、達成するのが難しかったことだろう。
少なくない数のレバノン人らは、内戦の深刻さが軽減したとしても、我々を内戦へ引きずり込むようなものすべてをすでに回避してきた。また彼らは自発的に、我々が祖国の抱擁と人間主義的な兄弟愛の時代にいるということを理解してきた。彼らのなかの誰かが、政治家やエリート層、メディア関係者らにとって良い手本となりますように。
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